第12話 月夜に現れし者(前編) |
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第13話 月夜に現れし者(後編) |
第14話 登頂 トレテスタ山脈 |
「腹は大丈夫か?」 零児は腹を抑えているエメリスに言う。見ていて苦しそうだ。 「だ、大丈夫……。平気……」 そう言って立ち上がろうとする。 「うわっ!」 しかし、腹部の痛みのせいか、エメリスはよろけて零児はそれを受け止める。 「大丈夫……ではないみたいだな。宿に戻ろう。痣《あざ》になってたらアレだし、薬を塗ってやる」 「だ、大丈夫だってば! そんなにあたしの心配しないで」 零児の手を借りることなく、エメリスは立ち上がろうとする。しかし。 「あ、アレ?」 やはりエメリスはよろける。腹部を強打しただけでそこまで弱ることはないとは思うが、見ていて平気にはとても見えない。 「あのなぁ……」 そんなエメリスの様子を見て、零児は半ば呆れ口調で言葉を繋いだ。 「歩くことさえ辛そうにしてるくせして、ほっておけるかよ!」 零児は有無を言わさず、エメリスに自らの肩を貸した。 「あ……」 「こんなときくらい、素直に言うことききやがれ」 冗談交じりに言う。エメリスはそれに反抗することなく大人しく零児の肩を借りて歩き始めた。 「……ありがとう」 エメリスがそう呟いたことに、零児は気づかなかった。 誰もいない宿屋の食堂で、ランタンの明かりを頼りに零児はエメリスの腹部を見る。 宿屋の表の鍵は既に閉まっていたので、零児の部屋を屋根伝いに移動して入った。その零児の部屋の窓ガラスは割られている。どうしようかなという考えもよぎったが、今はエメリスという存在が何者なのかと言う事実の確認のほうを優先するべきと判断した。 「皮膚が内出血しているな。触るぞ……」 「……」 エメリスは緊張しているのか、その表情が強張っている。それでもコクンと頷いたのを確認し、零児は痣になっている腹部に触れた。 「う……」 「痛いか?」 「う、ううん……。ちょっとくすぐったいだけ……」 「そうか……。となると、表面を触られただけでは痛みはないなら、それほど心配する必要はないな。けど、一応薬は塗って、包帯を巻いておくぞ」 「わかった……」 エメリスは大人しく頷く。 零児は自室から持ってきた塗り薬が入った壷の蓋を開ける。 アルジニスから旅に出るときに持ってきたものだ。使う機会はほとんどないので、普段は宿においておくか、馬車の荷車においておくかのどちらかしかない。 壷の中にはハケが1本入っており、そのハケを使って薬を塗っていくのだ。 「え!? それで塗るの!?」 「ん? 嫌なのか?」 「だ、だって……くすぐったそう……」 「我が侭《まま》を言うな!」 「は、はい……」 零児の軽い一喝にシュンとなりながらも、エメリスは大人しく従う。 「ヒアッ!」 ハケが自分の腹部に触れた瞬間、エメリスは体をビクッと震え上がらせた。 「おい、変な声出さないでくれないか?」 「だ、だって……つ、冷たい……あ、あは、あは、そ、それにくすぐったい!」 「あ〜もう……やりにくいな……」 零児はエメリスの反応をよそに黙々と塗り薬を塗っていく。 「こんなもんか……」 「……」 「次は包帯巻くぞ」 「え……? レイジが巻くの?」 「俺じゃ不満か?」 「あ、いや……そうじゃなくて……」 エメリスは零児の左腕があったところを見る。零児に左腕はない。 「ああ、気にするな。昔ちょっと無茶しただけだからな」 「……」 エメリスは黙り込む。零児は包帯の切れ端を口で押さえ、丁寧に右手だけで包帯を巻いていく。 が、途中で何度か、包帯をポロリと落としてしまう。 「あ〜くそ!」 「……」 エメリスの表情はどこか憂いを帯びている。素直な嬉しさと、零児が自分にしてくれている行動に対する申し訳なさ。そして、なにより罪悪感を強く感じた。 「もう、いいよ。レイジ」 「あん?」 「自分で巻くから……」 エメリスは零児から包帯を奪い取り、途中から自分で包帯を巻き始めた。 「よし! これでいいかな?」 若干結び目は緩いが、それでも十分だった。エメリスの腹部にはしっかり包帯が巻かれていた。 「情けないぜ。左腕があれば、もっとスムーズにいけたのになぁ……」 塗り薬の壷に蓋をしながら零児が愚痴をこぼす。 「……ごめん」 「? なんで君が謝るんだ?」 「……だって」 「まあ、色々聞きたいことはあるが、とりあえず最初の質問をいいか?」 「う、うん……」 それから零児はエメリスにいくつか質問をぶつけた。 零児自身はエメリスという名前を知らなかったためまずは名前を。 ついでどこで生まれ、今までどこにいて、なぜあのような状態になったのか。 生まれは本人は知らないといっていた。 今までどこにいたのかについては一切話さなかった。 あの状態。すなわちジストに狙われた理由は自分でもよくわからない、だった。 すなわち分かったのは名前だけと言うことになる。 「じゃあ、もう1つ。重要なことを聞くぞ?」 「う、うん」 しょぼくれた顔でエメリスは言う。どことなく怯えているようにも見える。 「? なあ、俺って怖いか?」 「え?」 「いや、さっきからなんか怯えてるみたいだったからさ」 「そうじゃない……そうじゃないの」 「?」 「なんでもない……」 そしてエメリスは沈黙する。数秒の間をおいて零児が続けた。 「わかった。じゃあ、改めて聞くが、なぜエメリスは俺のことを知ってるんだ?」 「……それは……言えない」 「どうしてだ?」 「ごめん……もう、聞かないで」 「……」 どことなく苦しそうな表情を浮かべエメリスは頭を抱えた。 零児としてはエメリスという存在そのものがなんなのかが分からないでいる。少なくとも零児にエメリスと言う名前の知り合いはいない。エメラルドグリーンの髪の毛、褐色の肌、金色の瞳、どこかトロンとした静かな瞳。ここまで特徴の多い人間と合ったら大抵は忘れないだろう。 「わかった。質問ばかりだったよな。聞かれたくないというなら、もう聞かない」 「……うん」 「じゃあ、とりあえず……保護者探さないとな」 「保護者?」 「ああ、1人でいるわけじゃないだろ? 保護者がいるのなら、探して帰るべきところへ帰らないと」 「あたしに……保護者なんていないよ」 「どういうことだ?」 「あたしに両親なんていないってこと」 「……?」 エメリスと会話はどこからどこまで本気なのかよく分からない。 というよりエメリスと言う存在について分からないことだらけだ。 親もいない。ジストに狙われる。自分の出身地は知らない。 謎が多すぎる。 「レイジ……あたしから1つお願いしていい?」 あどけない表情で、上目遣いで零児を見ながらの言葉だった。 「なんだ?」 「あたしと散歩しよう」 「散歩?」 「そ。夜の散歩」 「……別に構わないけど」 眠気なんか吹っ飛んだ上に今から寝ようとしても寝られないに違いない。零児はエメリスのお願いを聞き入れることにした。 「ありがとう! じゃあ、早く行こう!」 その途端、エメリスは突然元気になった。 さっきまでフラフラだったのが嘘みたいに、立ち上がり、零児の手を引っ張って外へ出ようとする。 「うわぁ! ちょっと待てちょっと待て!」 ものすごい勢いで元気になったエメリスに困惑しつつ、零児はエメリスと共に夜の街を歩くことになった。 エメリスと共にエストの町を歩く。真夜中だけあって人の姿はほとんどなく、店じまいしている店も多かったが、エメリスはあまり気にしていないようだった。 「レイジ! 早く行こうよ!」 「お、おい待てって!」 エメリスは自分の興味の赴くまま、零児を引っ張りまわし、色んなところへ連れて行く。 路地裏や色んな店の前はもちろん、屋根伝いに移動なんてことも平気で行う。 ――なんつー行動力だ……。 その行動力は辟易《へきえき》するレベルに達している。零児はエメリスの行動力に驚きながらも、子供を見守る父親のような温かい気分になっていた。 ――って、まだ誰の父親にもなる気ないんだけどな……。 エメリスは零児と共に行動が出来れば基本的にどこに行っても構わないらしく、率先して零児を引っ張っていった。 「見てレイジ! このお店まだ明かりついてるよ!」 「ああ、そこは……」 エメリスがさしているのは酒場だ。酒場は昼より夜の方が客が多い。真夜中でも営業しているところがあっても不思議ではないのだ。 「入ってみようよ!」 「お前が入るには……」 「お邪魔しま〜す!」 「人の話をきけえ!」 エメリスは何の迷いもなく堂々と酒場へと足を踏み入れた。もちろん黙ってみているわけにもいかないので、零児も一緒に入る。 酒場にはかなり多くの人間がいて、大分混雑していた。 「うわっ! なにこれ! ちょっと臭い……」 「酒の臭いだな……」 「さけ?」 「大人の飲み物さ」 そう言って、零児はこの酒場の一角に妙に人が集まっていることに気が付いた。元々混雑しているので、ある程度大声で騒いでいる人間がいたとしても、そんなものは雑音にかき消されてしまう。 「うるせぇ!!」 しかし次の瞬間、ドスの効いた若い男の怒声が響き渡った。同時に声の主に殴られた誰かが地面に倒れ付す。 その声の大きさに辺りが静まり返り、店内に緊張感が生まれた。 「てめぇ、何しやがる!」 殴られた男はすぐさま立ち上がり、自分を殴った男を見る。 「さっきから人の失敗をグジグジグジといいやがって……ムカつくんだよ!」 「ああん? 夢見ているボウヤに現実を突きつけてやっただけだろうがよ!」 「それがムカつくって言ってんだよ! 喧嘩なら買うぞゴラァ!」 下品な挑発をかます男の声に零児は聞き覚えがあった。もっとも関わる気にもならないが。 「出るぞ」 「え?」 「店から出るぞ!」 零児はエメリスの手を引いてそそくさと酒場から退散することにした。 零児自身は喧嘩は苦手ではないが、わざわざトラブルの種になりそうなことに首を突っ込むほど愚かでもない。それにエメリスが巻き込まれてしまうことを考えたらその選択は正しい。 「ま、待ってよ! どうしたのレイジ!」 エメリスは何がなんだか分からないまま零児に連れられ酒場を後にした。 酒場から出て数十分が経過した。 2人は再びあてどもなく町を歩き回る。店は酒場くらいしか開いていないので、買い物の類は当然出来ない。 「ねぇ、レイジ!」 「なんだ?」 先ほど酒場から出てきた時からエメリスはずっとフグのように頬を膨らませていた。 「なんで喧嘩止めなかったの!?」 「なんで俺が止める必要あるんだよ」 「レイジは弱いものイジメはよくないとか前言ってたじゃんか!」 「弱いものイジメはよくないが、あの場合は第三者首を突っ込んだらややこしい事になるだけだ。ほおって置いた方が案外すんなり収まるもんなんだよ」 「……そういうものなの?」 「そういうものだ」 「……」 エメリスはなおも不服そうな表情をしている。弱いものイジメの救済と、喧嘩の仲裁の区別がついていないのかもしれない。 ――ん? そこまで考えて、零児の思考が停止する。会話に違和感を感じたのだ。しかし、その正体が分からない。 「あ……!」 そんなさなかエメリスが足を止める。こんな時間にしては珍しい、ジュースの露店があったのだ。 「どうした? ジュースが珍しいのか?」 「あ、うん……え〜っと」 エメリスは零児とジュース屋を交互に見比べている。どうやら何か飲みたいものがあるらしい。 「何か飲むか?」 「いいの!?」 「ジュースの一本くらいならおごってやるさ」 「ありがとうレイジ!」 零児とエメリスの2人がジュース屋の店員に注文し、それぞれ好きなジュースを手に取る。 零児はりんごジュース。エメリスはバナナジュースだ。 エメリスはバナナジュースが入った紙コップをマジマジと見つめている。 「飲まないのか?」 「飲むよ!」 軽い冗談のつもりだったのだが、エメリスは本気で怒ったらしく、ほほをぷっくり膨らませる。 ――冗談は通じないタイプみたいだな。 歩きながら、エメリスは紙コップに口をつけ、バナナジュースを一口含んだ。 「うわぁ〜! おいしい〜!」 最初の一口を喉に流し込んでからの第一声がそれだ。どこまでも子供っぽい。 「大げさだなぁ」 「そんなことないよ! だって本当においしいんだもん!」 「まあ、このジュースで商売してるんだから不味いわけないんだけどな」 零児も一口自分が買ったりんごジュースを口に含む。 「うん。美味い」 「レイジは良く飲むの? あのジュース屋さんのジュース」 「いや、たまにしか飲まないな。基本的に俺は熱い茶が好きだからな」 「アハハ! そうだね! いつも持参してるお茶っ葉にお湯入れて飲んでるもんね!」 「ああ、まあな……ん?」 またも違和感を感じた。 会話がおかしい。いや、その表現は正しくない。正確に言うならば……。 「エメリス」 「ん? なに?」 「なんで俺がお茶っ葉を持参してるって知ってるんだ?」 「え……?」 エメリスの表情が凍りつく。まるで楽しい時間が終わりを告げるかのように。 「なんでって……?」 「さっきもそうだ。弱いものイジメはいけないことだと、言ったことはあったかもしれない。だけど、今まで俺と会ったことのないお前がなぜそんなことを知ってるんだ?」 「……知ってたら……ダメなの?」 エメリスの声が震えている。小動物のようにシュンとしたエメリスの表情から怯えと恐れ。その両方が見え隠れしていた。 「別にダメとかそういうんじゃない。だが、お前が知っている情報は俺とお前が、今まで以前に共に行動をしていたことがあるということだ。だが、俺はお前のことを、今日始めて知ったんだ。なのに、お前は俺のことを知っている……」 「……」 「どう考えても……不自然だろ?」 零児は可能な限りエメリスを怯えさせないようにやさしく言う。 「あたしは……」 震えたままの声でエメリスが語りだす。 「あたしは……ずっとレイジを見てた……」 「見てた?」 それはストーキングしていたということか? などと一瞬考えたが、多分それは違うなと思い直す。 「あたしね……ずっと1人だった。誰も助けてくれない牢獄に、足に鉄球つけられて、動けなくされて……。そして毎日……痛い思いをさせられた」 「どういう……ことだ?」 「あたしが反発すればするほど……あいつらはあたしを痛めつけた。痛いって言ってもみんな見ているだけで……あたしは耐えられなかった……本気で死にたいって考えたんだ……」 「ちょっと待て! それとこの話となんの関係がある?」 「関係なんて……知らない」 「なんだそれ?」 怯えながらも、どことなくふてぶてしさを感じる。エメリスは零児の言葉を無視して話を続けた。 話の雲行きに怪しさを感じつつはあるものの、零児はエメリスの言葉に耳を傾けることにした。 「でも、ある日……あたしが見ているものは現実じゃなくなった……。あたしは暗い部屋でじっとそれを見ているだけ……。でも苦しいことから逃げられたから……あたしは喜んでた……でも……レイジがあたしを助けてくれたから……レイジがあたしを抱きしめてくれたから」 「……」 ――分からない……。エメリスは俺といつ出会ったんだ? 出会ったとしたら、なぜ俺は覚えていない? 俺が覚えていないとしたら……。 零児の記憶にない出会い。そんなものがあるとしたら、7年以上前の記憶にさかのぼることになる。零児は7年より以前の記憶を失っているからだ。 「だから……レイジにならあたしのこと分かってくれるって思った……。レイジはあたしのことイジメルような奴らとは違うって思った。だから会いたくなった……。あたしには他に頼れる人……いなかったから」 ――? エメリスの台詞に再び突っかかりを覚える。 「会いたくなった?」 「……」 まただ。 エメリスの言っていることの内容が時として正反対になる時がある。 『抱きしめてもらった』というのに『会いたくなった』と言うのは明らかに矛盾している。 常人が聞いたら間違いなく頭がおかしい奴と罵倒されても文句は言えまい。そして、零児も似たような感想を抱いていた。 「エメリス……悪いがお前の言っていることはいまいち理解できない」 「……! ……あたしは……嘘は言ってない!」 エメリスは声を荒げた。雑踏の存在しない夜の町では、たった1人の声ですらよく響き渡る。 そして零児に目を向ける。そして涙混じりに零児に訴えた。 「あ、あたしは……! あたしは……ずっと1人だったんだ! 助け出された後も、零児のそばにずっといるはずなのに、あたしはそれを見ていることしか出来なかった!」 「エ、エメリス……?」 まるで我が侭を言う子供のように言葉を紡ぐエメリス。零児はどう対処したものか分からないでいた。 エメリスの言っていることは理解できない。分からない。どこからどこまでが現実なのか分からないような言い分を素直に信じろと言うほうが無理な話だ。 エメリスは本当のことしか言ってないというが、信じがたい内容のために信じきれないのだ。 だから今ここまでヒステリックを起こす理由も分からない。 「触りたいのに、話かけて欲しいのに、会話をしたいのに、声を聞いて欲しいのに……でも……で、でも……」 涙が頬を伝う。声が涙声になる。零児に自分が理解されない。それが辛かったのかもしれない。 「どれ1つとして……今まで叶わなかった……。あたしは……零児に助け出される前も、助け出されたあとも……ずっと1人だったんだ」 「エメリス……」 零児はエメリスの言葉を少しでも理解しようと、その主張に耳を傾けた。 だが、零児がエメリスを理解するためにはエメリスが隠している何かを知らなければならない。 「エメリス……教えてくれないか? お前が、いつ俺と出会ったのか……お前が隠していることを……全部話してほしい。そうでなければ……俺はお前を理解できない」 「くっ……う……」 エメリスは頭を抱えて膝を突く。その拍子に持っていたジュースの紙コップが地面に落ちた。 「ごめん……言えない……」 「……」 エメリスが言えないと言っている以上、無理強いは出来ない。しかし、それではいつまでたってもエメリスの言葉の真意は分からない。 「あ!」 「どうした?」 「……あたしが……消える……」 エメリスは夜空を見上げた。空には半月が浮かんでいる。しかし、その月を雲が覆い始めている。 エメリスの両手。自分でそれを見てエメリスは愕然とした。エメリスの両手が、否全身の肌の色が褐色から白く変色を始めていたからだ。 「あ、あああああ、あああ……! 嫌だ! 消える! 折角……レイジに合えたのに……。やっと……う……うう……」 再びエメリスの瞳に涙が浮かぶ。 零児は完全に頭が混乱していた。 エメリスが何者なのか。エメリスはなぜ自分を知っているのか。そしてエメリスが語った内容。そして、今自分が消えるという発言。 全てが意味不明だった。 「クッ……」 エメリスはとても人間とは思えないほど身軽な動きでその場から離れた。 「エメリス!」 「また……合えるといいね!」 泣きながらそれだけ言い放ち、エメリスは零児の前から姿を消した。 気が付けば月は完全に黒雲に覆われていた。 エメリスは自分が目覚めたベッドの上で泣きはらしていた。 ――なんで!? なんであたしが消えなきゃいけないの!? 今度はいつ出てこられるのかわからないのに! あたしが……何したっていうんだよう……。 どうしてこうなってしまったのかわからない。エメリス本人にもどうしようもない。自分では変えられない。 ――あいつが……レイジといつでも会話出来るなんて許せない! あたしの方が……あいつより上のはずなのに! なんで……あたしは……こんな……体に……。 枕をギュッと抱きしめる。消えてしまうのが怖いからだ。自分がいなくなってしまうのが何より怖いから、彼女は枕を抱きしめ、涙で濡らす。 ――神様は意地悪だ! あたしの敵だ! あたしは……あたしは……。 憎しみと怒りと悲しみと寂しさ。全てがごちゃごちゃになって頭の中で渦を巻く。 ――憎い……あいつが憎い……! あたしは……こんな短い間しか……レイジと会話できないのに……あいつじゃなくて……あたしだけを……見て欲しいのに……。 しかし、彼女が憎む相手を殺すことはできない。その理由は彼女自身が一番良く分かっていた。だからこそ彼女は自分の運命を呪うしかなかった。 ――あたしは……レイジと一緒に……いたいだけなのに……あ。 エメリスはあることに気が付いた。ベッドから立ち上がり、自分の腹部に巻かれた包帯を見る。 そして何を思ったのか、その包帯の結び目をはずし、適当に包帯を一まとめにする。その包帯は零児とエメリスを唯一繋ぐものだった。 その包帯を適当に引きちぎり、その一部を部屋のあるところにしのばせる。 自分がまた目覚めた時に、零児のことを覚えているようにと。そして、もう一度零児に会いたいという願いを込めて。 「レイジ……また……会えるよね?」 だんだん眠くなってくる。自分の手が少しずつ変色していっている。その肌は徐々に白くなっていった。 ――今度はいつ……会えるかなぁ? エメリスはそう願いながら再び枕を抱きしめた。 |
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